‘Samvad’
Global Hindu-Buddhist Initiative
人間同士の争いを終わらせ、より良い環境を作り出す方法を探求し、対話を効果的な紛争解決の手段とすることを目指す「Samvad(対話)-紛争回避と環境配慮に関するグローバルなヒンズー教・仏教イニシアチブ」が2015年9月3日木曜日にニューデリーで始まりました。開会式には仏教関係者や仏教研究者の他、各界を代表する著名人が臨席しました。開会式はヴィヴェーカーナンダ国際財団と東京財団の共催で執り行われました。
Samvadの開会式で、ナレンドラ・モディ首相は、ゴータマ・ブッダの生涯は社会奉仕精神の力、そして最も重要な放棄の精神の力を体現していると述べました。また、ブッダが物質的な豊かさが唯一の目標ではないと確信していた、とも述べました。その上で、ゴータマ・ブッダが歩んだ道と理想を信奉しなければ、今世紀はアジアの世紀とは言えないだろうと説きました。
9月5日にブッダガヤで開催されたイベントでも、モディ首相はスピーチを行いました。ナレンドラ・モディ首相は、ブッダガヤは人類史において最も神聖な場所、すなわち、地球史上最も影響力のある教師の一人であるゴータマ・ブッダを世界に送り出した場所、であると述べました。また、ブッダガヤを「悟りの地」、そして、その教えが今日に至るまで世界の人々に啓示を与え続けている仏陀をインドの「王冠の宝石」と表現しました。
9月5日は、クリシュナ神の誕生日、ジャンマシュタミとしてもお祝いされました。モディ首相は、クリシュナ神は「教師の中の教師」、「指導者の中の指導者」であり、ともに世界に多くのことを教えてくれたと述べました。首相はゴータマ・ブッダとクリシュナ神は共に規律と物事を遂行する過程を重要視していたと指摘しました。また、ゴータマ・ブッダとクリシュナ神という二つの聖なる魂は、人々に相違点を克服させ、一つにさせる力を持っていたと、首相は述べました。
日本の安倍晋三首相は、ニューデリーで行われたイベントの開会式でモディ首相のスピーチに触れています。安倍首相は仏教の際立った特徴が、両国の絆の深化させている点を強調しました。
.精神的指導者のシュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカール師は、戦争に頼り、平和を妨げる好戦的な考えを指摘しました。そして、地球を守るという取り組みは、自覚するだけではなく、実行に移されなければならないと強調しました。シュリ・シュリ師は、「平和がなければ世界の繁栄はない」、という言葉を引用しました。その上で、仏教とヒンズー教は、平和的な共存関係にある宗教が美しく融合した姿を表現していると述べました。
開会式に参列したチャンドリカ・クマラトゥンガ元スリランカ大統領は、今回のフォーラムはスリランカ国民に現世の知識を与え、経済状況を改善し、また、道徳心を強化するために精神的な知識を与えることで、民衆の貧困と苦しみを軽減するヴィジョンを抱いていたスワミー・ヴィヴェーカーナンダを称賛するにふさわしいものであると述べました。その上で、今回の会議は、仏教とヒンズー教の教義に基づいた調和と平和のメッセージを広めるという高貴な考えを自らに課した、と述べました。クマラトゥンガ元大統領は、このような取り組みは私たちの世界に精神主義と倫理的行動をもたらす一助となると楽観論を述べました。
会期中、各仏教宗派から参加した精神的、宗教的指導者たちは様々な課題について議論を交わしました。仏陀の教義についても広く話し合いがもたれ、仏陀の教えを貧困撲滅や、民主的かつ多元的、内包的で安定した平和国家の元となる基本的人権を確保するツールとして、どのように利用できるのかについても議論が交わされました。
著名な仏教関係者や研究者がこの会議へ出席し、モディ首相が3日間の会期のうち、2日間参列したことで、紛争とは無縁で環境に配慮する未来への道筋を示した「Samvad」は忘れがたい経験となりました。
チャンドリカ・バンダラナイク・クマラトゥンガ元スリランカ大統領閣下、 日本政府の城内実副外務大臣閣下、 シュリシュリ・ラビ・シャンカール師、 インド政府閣僚のマヘッシュ・シャルマ博士、キレン・リジジュ氏、 ヴィヴェーカーナンダ国際財団 ディレクターのN.C.ヴィジ将軍、 東京財団の秋山昌廣理事長、 ラマ・ロブサン師、
御来賓の皆様、宗教的指導者、精神的指導者の皆様、マハ・サンガの高僧の皆様、ダルマ・グル、
本日は、「Samvad(対話)-紛争回避と環境配慮に関するグローバルなヒンズー教・仏教イニシアチブ」の開会式に参加出来ることを嬉しく思います。
このシンポジウムは仏教が生活に浸透している世界数カ国の精神的指導者、研究者、指導者が一堂に会する、誠に高い尊敬に値する会議です。
本会議がインド、特にブッダガヤで開催されることは大きな喜びです。インドはこのような会議を主催するには理想的な場所です。私たちインド人は、ゴータマ・ブッダがこの地から世界へ向け仏教の教えを広めたことを誇りに思っています。
ゴータマ・ブッダの生涯は、奉仕、慈愛、そして最も大切な放棄が持つ力を体現しています。ブッダは高貴な家に生まれたため、さほどの困難に直面することなく育ちましたが、年を重ねるごとに、人間の苦難や病気、老いや死を顕著に意識するようになりました。
ブッダは物質的な豊かさは唯一の目標ではないと確信しました。人間同士の争いを嫌悪し、平和で慈愛に満ちた社会を創るための道を歩み出しました。退行的と見られる慣習や制度からの解放を目指し、社会を映す鏡を掲げ持つ勇気と信念を持っていたのです。
革命者ゴータマ・ブッダは、人間のみを中核に置いた信仰を創りあげました。人間の最も奥深くにある本質は、神性を示しています。ある意味でブッダは神の存在しない信仰、すなわち自分の外に神を求めるのではなく、自分の内を見つめる信仰を創造したのです。「アッパ・ディーポ・バヴァ(Appa Deepo Bhavah=自らを照らす光となれ)」という三つの言葉で、ゴータマ・ブッダは人類に最も優れた自己管理の教訓を与えました。人間を苦しめる愚かな紛争ほど、彼が心を痛めたものはありません。ブッダの世界観には非暴力は不可欠でした。
このシンポジウムの主題として選ばれたのは、紛争回避、環境配慮、自由で率直な対話という概念ですが、ゴータマ・ブッダの言葉はこれらと強く共鳴しています。
これら三つはそれぞれ独立した主題に見えますが、実は互いが無くては成り立たないものです。実際、これらの概念は互いに依存し合い、支え合っています。
最初のテーマである紛争は、人間、宗教、コミュニティー、国家の間に、さらに非国家的行為者や組織の間に起こります。寛容な心を持たない非国家行為者の集団が広大な領土を支配し、罪のない人々に野蛮な暴力を振るっています。
二つ目の主題は、自然と人間、自然と開発、自然と科学の間に起こる紛争です。これらの種類の争いには、今日行われている「利益交換」型の交渉ではなく、紛争解決のための対話が必要です。
消費や環境配慮に対して自制心を働かせるという倫理観は、アジアの伝統的思想、特にヒンズー教や仏教に深く根ざしています。
仏教は儒教、道教、神道など他の宗教と同様に、人は環境保護に大きな責任を負うことを説いています。ヒンズー教と仏教には、「母なる地球」について明確に説いた経典が存在します。これら二つの宗教は、環境保護の手法を見直し、変更する際の手助けになるのではないでしょうか。
気候変動は世界にとって喫緊の課題です。世界の人々の集団的な行動、包括的な対応がいま求められています。インドでは古代から、信仰と自然は深く結び付いていました。仏教と環境の間には深い相互関係があります。
歴史・文化にも表れているように、仏教の伝統は、自然世界とのより大きな一体感を持つことを奨励しています。仏教的な見方においては、すべてのものは繋がり合っていると考えられているからです。環境の汚れは心に影響を与え、また心の汚れは環境を汚染します。環境を浄化するためには、私たちは心を浄化しなければなりません。
現実を見ても、環境危機は、心のバランスの乱れを反映しています。ブッダは自然資源を保護する必要を重視し、節水のための道具を作り、仏僧に水源を汚すことを禁じました。自然、森、木、万物の安寧はブッダの教えにおいて重要な役割を果たしています。
私は“Convenient Action”(便利な行動)という本を書きました。この本はAPJ・アブドゥル・カラム元大統領によって発表されました。同書では、私が州首相時代に取り組んだ気候変動対策に関する体験を紹介しています。
私個人に人間と母なる自然の強い絆を教えてくれたのは、ヴェーダ経典でした。私たちはまた、マハトマ・ガンジーの “Doctrine of Trusteeship” (信託統治の教義)を認識しています。
この文脈において、現代の私たちは、将来の世代のため、豊かな自然の財産を守る信託統治者として行動する責任を担っています。問題なのは気候変動だけではありません。最も重要なのは、気候に関する正義です。もう一度申し上げます。問題は気候変動そのものではない、気候に関する正義である、と
私の見解では、気候変動により最も深刻な被害を受けているのは、貧困層と虐げられた人々です。自然災害が起きると、こういった人たちが最大の被害を受けます。洪水が起きれば、ホームレスになってしまう。地震が起きれば、家が崩れてしまう。干ばつにも、苦しめられる。そして厳寒の中で最も苦しむのもホームレスの人々です。
このように人間が気候変動に影響を受ける事態を放置しておくわけにはいきません。ですから私は議論の焦点を、気候変動から気候に関する正義へ移すべきだと考えます。
三つめの「対話の推進」という主題については、イデオロギー的なアプローチから思想的なアプローチへと移行することが必要です。適切な対話なしには、紛争回避も環境配慮も解決することができません。
現行の紛争解決メカニズムには、大きな限界があることがますます明白になってきました。流血と暴力を予防するための意義ある、集団的、かつ戦略的な努力が必要です。世界が仏教に注目するのも驚くべきことではありません。このことは、歴史を通じて受け継がれたアジアの伝統や価値観が、紛争回避におけるパラダイムをイデオロギー路線から思想へと移行させる力になりうると認識されていることを示しています。
紛争回避、環境配慮という第一、第二の主題を含む本会議の概念の精髄は、対話についての議論にも含まれています。すなわち、イデオロギー的な「あちら側対こちら側」というアプローチから思想的なアプローチへ移行する必要性です。私たちは世界に向けて、今こそ宗教的・非宗教的なイデオロギーから、思想へ移行すべきだと伝えなければなりません。
昨年私は国連で演説をした際に、イデオロギー的なアプローチから思想的なアプローチへ移行する必要について短く触れました。次の日、外交問題評議会で演説をした際には、この概念についてもう少し長く述べました。思想の真髄は、それが外に向かって閉じられていないことです。一方、イデオロギーは閉じられています。したがって、思想は対話を許容するだけではなく、対話を通じた真実の絶え間ない追求を可能にするのです。ウパニシャッド文学は対話の集大成です。イデオロギーは動かさざる真実のみを支持します。ですから対話に対して門を閉ざすイデオロギーは暴力へ繋がる傾向があり、一方、思想は対話を通じ暴力を回避しようとします。
そういった意味で、ヒンズー教と仏教はたんなる信仰体系ではなく、むしろ思想的であります。
私は、あらゆる問題への解決は対話の中にあると固く信じています。昔は兵力こそが力を示すと考えられていました。しかし今、力は、発想と効果的な対話から生まれてこなければなりません。私たちは戦争のもたらす有害な影響を目にしてきました。20世紀前半、人類は二つの世界戦争のもたらす恐怖を見てきました。
戦争の質は変化し続けており、危険は増大しています。戦争が決着するまでに、昔は多数の兵士が長い戦いを強いられていたのが、今はボタン一つで、ほんの数分で、完了してしまうのです。
ここに居る私たちは、未来の世代が平和、尊厳、相互的尊敬に満ちた暮らしができる世界を実現しなければならないという重大な責務を負っています。私たちは、紛争のない世界の種を蒔かなければなりません。その努力の中で、仏教とヒンズー教は大きな役割を果たすでしょう。
対話について議論するとき、どのような対話を適切とすべきでしょうか?それは、怒りや報復を招かない対話です。アディ・シャンカラとマンダナ・ミシュラの対話は、その偉大な一例です。
この古代の素晴らしい例について想起し、現世代に伝えていくことには価値があります。アディ・シャンカラは若いヴェーダ学者で、儀式に高い価値を見出していませんでした。一方年配の学者マンダナ・ミシュラは、動物を生贄にする儀式すらも支持する儀式信奉者でした。
アディ・シャンカラは儀式主義の権威であるミシュラとの対話と討論を通じて、解脱(Mukti)を達成するためには、儀式は必要ないことを示そうと考えました。一方、マンダナ・ミシュラは、儀式を軽視するシャンカラが間違っていることを証明したいと考えていました。
古代インドでは、センシティブな問題についての学者たちの討論においては、日常的な問題は回避されました。アディ・シャンカラとマンダナ・ミシュラは討論を行い、シャンカラが勝利しました。しかし重要なのは討論そのものではなく、いかに討論が行われたかです。これからも人類史上に残るであろう最も崇高な討論のひとつの在り方を示す、素晴らしい逸話が残っています。
もしマンダナ・ミシュラが負けたら、所帯者(gruhasta)であることをやめて、遁世者(sanyasa)とならなければならない、また、もしアディ・シャンカラが負けたら、彼は隠遁生活を放棄し、結婚して所帯生活を送らなければならない、という取り決めがなされました。高名な学者であったマンダナ・ミシュラは、年若いアディ・シャンカラを自分より格下と見て、審判を選ぶ権利を譲りました。アディ・シャンカラは、自身も学者であるマンダナ・ミシュラの妻を審判に選びました! マンダナ・ミシュラが負けたら、彼女は夫を失ってしまいます。しかし妻は思わぬ行動に出ました!シャンカラとミシュラの頭に生花で作った花輪を載せ、討論を始めるように二人を促し、「花輪が先にしおれた方が敗者と宣告される」と告げたのです! 何故でしょうか? 怒った人の体は熱くなるので、より熱い頭に載せられた花輪が先にしおれるからです。内なる怒りは、敗北の印です。この理屈をもって、マンダラ・ミシュラは、討論の敗者と宣告されました! ミシュラは遁世者となることに同意し、シャンカラの弟子となりました。この逸話は対話の持つ生命力と、怒りや争いを介入させずに対話することの大切さを示しています。
今日、国籍も、生活様式も異なる私たちは、この素晴らしい集まりに参加するため一同に会していますが、私たちは皆、自分たちの文明の根底には、互いに共有する思想、歴史、遺産があるという事実によって結び付けられています。仏教と仏教遺産が私たちを一つにし、結び付ける要素となっています。
今世紀は「アジアの世紀」であると言われています。私たちが「アジアの世紀」を実現するには、ゴータム・ブッダが示した道や理想を信奉することが不可欠なのは明らかです!ブッダが私たちの集団的な精神の安寧において果たしている役割は、国際貿易が私たちの集団的な経済の安寧において果たしている役割、また、インターネットが私たちの集団的な知性の安寧において果たしている役割と同じものです。
ブッダがこの21世紀に、国境、信仰体系、政治的イデオロギーを超えて、理解や忍耐の大切さを教え、私たちの中に寛容と慈愛の心を呼び起こすのが見えます。
今皆様は、仏教遺産を誇りとする国を訪ねていらっしゃいます。私の故郷であるグジャラート州のヴァドナガールは、仏舎利が見つかった多くの場所の一つであり、また中国の訳経僧であり旅行記などを残した著述家の玄奘が訪れた場所でもあります。
南アジア地域協力連合(SAARC)地域には数多くの仏跡があります。ルンビニ、ブッダガヤ、サルナート、クシュナガールなどは、ASEAN諸国、中国、韓国、日本、モンゴル、ロシアの巡礼者を引き付けるでしょう。
インド政府はインドにおける仏教遺産を強化すべくあらゆる努力を続けており、インドはまた、アジアにおける仏教遺産の強化に関しても主導的な役割を果たしています。この3日間の会議も、その努力のひとつです。
これから3日間、会議において活気に満ちた豊かな議論が交わされ、私たちが皆で、平和、紛争解決、より清潔で緑に満ちた世界の実現のため共に考える時間が持てることを期待しています。
明後日ブッダガヤでお目にかかるのを楽しみにしております。
本日は皆様と共にこの集まりに参加することができ、嬉しく思います。こうしてブッダガヤに居ることを大変な幸運に感じています。私はジャワハルラル・ネルー首相とアタル・ビハリ・バジパイ首相に続き、この聖なる場所を訪ねる機会をいただきました。
私がこうして皆様にお会いしている今日は、たいへん特別な日です。今日私たちインド人は、第二代大統領であり、偉大な学者、教師であったサルヴェパリ・ラダクリシュナン博士の生誕日に制定された「教師の日(Teacher’s Day)」をお祝いしています。
このシンポジウムにおいて、私たちは世界の歴史の中で最も大きな影響力を持った教師の一人であるゴータマ・ブッダについて語り合ってきました。仏陀の教えは何世紀もの間、多くの人々に啓示を与えてきました。
本日、私たちはまた、クリシュナ神の誕生日「ジャンマシュタミ(Janmashtami)」をお祝いしています。世界はクリシュナ神について多くの事を学ばなければなりません。私たちは、クリシュナ神について語る時、श्री कृष्णम वंदे जगतगुरुमすなわち、「教師の中の教師」「指導者(グル)の中の指導者(グル)」と呼びます。
ゴータマ・ブッダとクリシュナ神は世界に多くのことを教えました。この会議のテーマも、私たちがこれら二人の偉大な存在に与えられた価値観や理想に啓示を受けていると言えます。
クリシュナ神は「マハーバーラタ」において、大戦争が始まる前にあるメッセージを伝えます。仏陀は戦いを超越することの重要性を繰り返し説いています。両者が共に伝えているメッセージは、自らのダルマ(dharma=法)を遂行せよというメッセージです。
クリシュナ神も仏陀も、規律と物ごとを遂行する過程を重視しています。ゴータマ・ブッダは八正道と五戒を説き、クリシュナ神は「カルマ・ヨーガ」の形式をもって人生の重要な教訓を与えました。この二つの聖なる魂は、人々が違いを超え、一つになる力となりました。両者の教えは最も実用的で、永続性があり、今日の世界で、これまでかつてなかったほど必要とされています。
私たちが集まっているこの場所も、会議を特別に意義深いものにしています。ここブッダガヤは人類史の中でも最も特有な場所だからです。
ここは悟りの地です。古代、ブッダガヤはシッダールタを得ました。そしてブッダガヤは、最も崇高な知識、平和、慈悲の体現者であった仏陀を世界に与えたのです。
したがって、ここブッダガヤは、このめでたいジャンマシュタミの日に対話を行うには理想的な場所であります。また、今日は「教師の日」であることも、この会議に独特な意味を与えています。
おととい、ヴィヴェーカーナンダ国際財団と東京財団の共催、デリーの世界仏教連盟(International Buddhist Federation)の後援で行われた「紛争回避と環境配慮に関するグローバルなヒンズー教・仏教イニシアチブ」の開会式に参加しましたことは、私にとって大きな光栄でした。
本会議は、紛争回避におけるパラダイムを紛争解決から紛争回避へ、また、環境規制から環境配慮へと転換するという概念を中心に話し合いが行われました。
私は、かつてないほどの勢いで人類を脅かしているこの二つの重大な問題についていくつかの考えを述べました。私は、両方の問題において世界的な思考のパラダイム転換が模索されている今、世界が紛争解決メカニズム、環境規制を再考するにあたり、仏教が注目されているという点を想起しました。この二つの課題は、国家の機関に決定が委ねられていますが、対処することがますます困難になっています。
主に仏教国出身の精神的指導者、宗教的指導者、知識人が、この二つの課題についての活気ある議論に参加しました。二日間の会議の終わりに、東京財団は、今回と同様の会議を2016年1月に主催すると発表しました。他の仏教国もまた、同様の会議をそれぞれの国で主催すると述べました。
これは、経済的・文明的現象であるアジアの台頭と同時に起きた目覚ましい出来事です。ヒンズー教・仏教の文明的・文化的視点により形成された本会議のテーマは、アジア、ひいては世界における紛争回避に関する思考や環境配慮に関する私たちの見解を確実に深めていくでしょう。
この二つの問題に関し、二日間の会議を経て、大まかな合意が形成されました。紛争問題に関しては、これらのほとんどは宗教的不寛容に端を発するものですが、参加者は、自らの宗教を実践する自由それ自体について問題はないが、過激思想の持ち主が自分たちのイデオロギーを他者に力をもって強制しようとする時、紛争の可能性が生じると同意しました。環境問題に関しては、自然遺産を保護する大切さを強調するダルマ ダルマ(法)の思想的基盤は持続的開発にとって重要であると同意しました。国連も、開発を地元の文化や人々に添った形で行うことによってのみ持続的開発が可能であるという見方に達したことを、ここで言い添えて置きます。
これは多様性を持った世界における開発モデル設定にとって、前向きな展開であると思います。また、世界全体を視野に入れるという昨今の思考の発展も、ヒンズー教と仏教に関わる人々が、合意を得た解決策を世界的な議論の場へ持っていくための体系を生み出しています。私は個人的に、「紛争回避と環境配慮に関するグローバルなヒンズー教・仏教イニシアチブ」は、これら二つの課題に関する持続的な解決案が欠乏している今の世界にとって、重要な展開となるのではないかと考えています。
ヒンズー教の思想は、仏陀の出現と仏教の教えに最も大きな恩恵を受けています。
多くの研究者が、ヒンズー教における仏教の影響について分析をしています。実際、アディ・シャンカラは、あまりに仏陀に大きな影響を受けたため、「変装をした仏陀(Prachhanna Bouha)」と批判されたほどでした。多くの人々に最も偉大なヒンズー哲学者と目されたアディ・シャンカラはそれほど大きな影響を仏陀から受けたのです。仏陀は大衆レベルにおいても高い尊敬を受けており、詩人ジャヤデヴァは仏陀を叙事詩「ギータ・ゴヴィンダ (Geeta Govinda)」の中で、「非暴力(Ahimsa)を説くために降臨した神マハヴィシュヌ」と賞賛したほどでした。ヒンズー教は仏教の出現を経て、仏教的ヒンズー教、あるいはヒンズー教的仏教となりました。今日、仏教とヒンズー教は分離することのできない混合物となっています。
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは仏陀を次のように賞賛しています。
引用します:
仏陀の生誕時、インドは偉大な精神的指導者、預言者を必要としていた。
仏陀はヴェーダ、カースト、僧侶、慣習を含む、あらゆる物に屈しませんでした。論理が及ぶ限界まで、果敢に論理を積み立てていったのです。これほど果敢に真実を追求し、すべての命ある物を深く愛した人は、世界に類を見ませんでした。
仏陀は他のどの教師よりも、勇敢で誠実でした。
仏陀はこの世界に完全な道徳体系を与えた最初の人物でした。仏陀は善のために善を成し、愛のために愛しました。 仏陀は偉大な平等の伝道師でした。すべての男性、女性は崇高な精神性を獲得することができると説きました。
私は個人的にインドを「仏教的インド(Buddhist India)」と呼びたいと思います。インドでは宗教学者が文献を通して、仏教のすべての価値観や道徳を人々に浸透させているからです。
最も偉大なヒンズー哲学者の一人がこの最高の賛辞を仏教に贈っている時、今日のヒンズー教を、量的、質的な意味で、「仏教的ヒンズー教」と呼ぶことは間違っているでしょうか?
すべての宗教のあらゆる信仰のあり方を受容するインドにとって、仏陀は王冠の宝石のような存在です。インドにおけるヒンズー教の質は、仏陀を含む多くの偉大な精神的指導者の産物です。そしてこの事が、インドの世俗主義的特性を持続させる力となっています。
仏陀がブッダガヤで得た悟りは、ヒンズー教にも悟りの光明をもたらしたのです。
この古代から続く国家の第一の公僕である私は、仏陀を、私たちに新しい世界観と、人間と世界の生存にとって重要なヴィジョンをもたらしてくれた、ヒンズー教と世界の改革者として尊敬しています。
私は、世界中の仏教徒が巡礼地であるブッダガヤに高い尊敬を抱いていることを認識しています。インドの私たちは、ブッダガヤが精神世界の中心地となり、インドと仏教世界を結ぶ文明的な絆の地となるよう、開発を進めたいと考えています。インド政府は、聖地の中でも最も聖なるブッダガヤにおいて、インドの従兄である仏教国の皆様の精神的ニーズに応えるため、あらゆる支援を提供したいと考えています。
私は喜びを持って「仏教と精神的指導者による宣言(The Declaration of Buddhist Religions and Spiritual Leaders)」を読み上げます。この宣言は、大変な労力と徹底的な対話の成果であり、私たちに向かうべき道を示してくれる革新的な文書です。また私は、先日、寛容の重要さ、多様性の享受、慈悲と友愛の精神について示唆して下さった安倍晋三首相 に共感します。この素晴らしい会議のために安倍首相が寄せてくださったメッセージとこのイニチアチブを発展させるための継続的な御支援は、私たちに大きな力を与えています。
最後にもう一度、皆様にお祝いを申し上げ、さらなるご成功を祈念いたします。本会議は、私たちが衝突を超え、文明の調和と世界の平和のための対話の枠組みを作るための希望と力を与えてくれました。私たちの智恵が未来の世代に届くこと、また彼らがそれを実際的なやり方で活かせることを確実にするため、皆様がこれからも着実な、断固とした努力を続けてくださることを願っています。この事は世界のどちら側に立つ人間のためでもなく、人類全体の進歩のため、また私たちが母なる自然から与えられた美しい世界を守るために重要なのです。
ありがとうございました。